※この記事は、GAOGAOの自社メディア「CREATOR HUB」に2020年10月21日 に公開されたインタビュー記事を転載したものです。
前編後編の2回に分けてお届けしています。
世界で活躍するクリエイターに、海外で働く上でのキャリア論を語っていただく本企画『STORY』。ここでは、一歩先を行く先輩クリエイターのグローバルな挑戦を取り上げ、次のキャリアとして、世界で活躍することを目指す日本人クリエイターを、より多く輩出していくことを目的としています。
今回は、タイでアプリケーションエンジニアとして働く、佐々木さんにお話を伺いました。実は佐々木さん、コロナ前から日本でのリモートワークを会社と交渉し、今年の3月から東京に生活拠点を移して、タイのアプリ開発事業をリードされています。また、エンジニアとして働く傍ら、日本人エンジニアの採用窓口も担うなど、多様な働き方を実践されています。
そんな佐々木さんは、新卒で大手IT企業にエンジニアとして入社し、いくつも新規事業の立ち上げを経験されました。その後はタイに渡り、現地で日本人が創業したスタートアップ企業で働いています。過去から現在に至るまでのエンジニアとしての経歴、そして海外で実際に働いて感じていること、今後の展望などを伺いました。
これから海外でアプリケーションエンジニアとして活躍したい方には、是非ご覧いただきたい内容となっています。
佐々木友弘
東京理科大学大学院卒業後、株式会社サイバーエージェントで約5年間iOS/Androidエンジニアとしてキュレーションメディア/動画系SNS/動画配信サービス/マッチングアプリの開発に従事。人生1度は海外で暮らしてみたいという思いから2018年に海外スタートアプのFlare.incに転職。車好きのためのSNS「Upcar」、スマホとAIを使ってドライバーの挙動を可視化するサービス「Flare Analytics」、社用車ドライバーの勤怠管理アプリ「Flare Dash」を開発し、世の中を便利にするプロダクトを作りたいとの思いで日々奮闘している。
―インタビューをお受け頂き、ありがとうございます。それでは早速ですが、エンジニアになろうと思ったキッカケからお聞きできればと思います。
私がエンジニアになろうと思ったのは、大学生の時でした。ちょうどその頃、iPhoneが発売されたのですが、今でも初めてiPhoneに触れた時の高揚感を覚えています。
新しいモノ好きな性格も相まって、iPhone誕生によって生み出された新しい世界に魅了されました。また、自分もiPhoneアプリを開発して新たな体験や価値を提供したいと思い、大学3年生の時、同じ大学を卒業した先輩が起業した、モバイルアプリ開発会社で働かせていただくことになりました。
先輩が立ち上げた会社と言っても、立派なオフィスがあるわけではなく、大学近くの一軒家を借りて、夜通しアプリを開発していました。アプリ開発に関する書籍を買ってきては、それを参考にしながら時間も忘れて夢中で作っていましたね。
私は開発も好きですが分析も好きなので、当時人気が高かったアプリを片端からダウンロードして使い、どういった内容のアプリが人気なのか分析して開発していました。メインではカジュアルゲームを開発していたのですが、その中の一つは20万ダウンロードまでいき、無料アプリランキングでトップ10入りも果たしました。お陰で、大学生のうちにアプリづくりの基本をマスターすることができました。
そのままアプリ開発の道に進む選択肢もあったのですが、その後は大学院に進学し、VRの研究をしました。
理由は、アプリ開発に夢中で大学生時代に十分な勉強ができなかったこと、そして元来の新しいモノ好きの性格から、当時、世の中に広まり始めていたVR技術を探求したいと思ったからです。また、ゆくゆくはアプリ開発にVRの知識・技術を還元したいとも考えていました。
―なるほど、では大学院進学後に就職されたのですね。大学時代にアルバイトをしていたアプリ開発会社で働かれたのでしょうか?それとも、VR関連企業に就職されたのでしょうか?
新卒では、サイバーエージェントにITエンジニアとして就職しました。
他にもIT企業何社かから内定を頂けていたのですが、サイバーエージェントの内定者懇親会で出会った同期の考え方が似ていて、素直で良い人が多く、一緒に働くと面白そうだと思ったことが一番の決め手でした。
サイバーエージェントに入社して最初に配属されたのは、新規事業開発を担当する部署でした。実は採用面接の段階から新規事業に携わりたいと言っていたので、希望通りの配属で嬉しかったですね。ただ、ここからの毎日は挫折の連続でした。(笑)
まず、配属された事業部には新卒は私しかおらず、周りは優秀なエンジニアばかりでした。その中で自分の至らなさをまざまざと見せつけられ、愕然としましたね。夜遅くまで働き、先輩方よりも時間をかけることで、何とか追い付こうと必死でした。
また、サイバーエージェントには約5年間在籍したのですが、6つほどの新規事業にエンジニアとして関わりました。ほとんどの事業がクローズしてしまい、新規事業の難しさを学びました。
最初はキュレーションメディアの立ち上げ、続いてカジュアルゲームの開発、次に創業メンバーとして子会社を立ち上げ、Youtubeメディア、Youtube動画を楽しむSNSを開発しました。
その後、また新たに子会社を創業メンバーとして立ち上げ、動画配信サービスを開発しましたが、1年ほど運用してクローズしました。この開発ではスクラムマスターも経験させてもらいましたが、最初はどうやってプロジェクトとチームメンバーの進捗を管理して生産性を上げればいのか分からず悩みました。また、メンバーの中で一番年下だったので、先輩エンジニアに気を遣うなど精神的に一番きつかったですね。
本屋で自己啓発本を買うなどして自分に向き合い、メンタルの保ち方を学んでいきました。(笑)
退社直前では、伸びている既存サービスの開発を経験したいと思い、マッチングアプリ「タップル誕生」でiOSチームの開発リーダーを担っていました。このマッチングアプリの開発で、既存サービスのグロース方法、バグを出さないでリリースするための開発、1アプリで5人のiOSエンジニアが効率的に開発する方法が学べてよかったです。
また、ユーザー数や売上も急成長し、今までの失敗が少し報われた気持ちになりましたね。売上は全てを癒してくれると学びました。
でも、さすがに、いくつもの新規事業がクローズしていくのは辛かったです。(泣)
ビジネス戦闘力の高い経営層に魅了され、タイのスタートアップ企業へ転身
―とてもハードな経験をされたのですね。それも新卒からの5年間という、若い時の経験としては、とても珍しいと思います。そんな中で、海外転職に踏み出すんですよね。
はい、サイバーエージェントに在籍していた最後の1年間くらいは、仕事の傍ら次の挑戦の場を求めていました。その時の条件が、スタートアップ×海外でした。
サイバーエージェントで5年間、エンジニアとして様々な新規事業の立ち上げを経験させていただけたので、社内でやりたいことはやりつくしたという達成感がありました。
また、サイバーエージェントのような大企業ではなく、スタートアップに移ることで、より裁量権を持って幅広い業務を経験したいと思うようになっていました。
スタートアップだと、自分の頑張りが目に見えて会社の業績に反映されるため、より自分事として仕事に打ち込めると考えたんです。あとは、スタートアップ特有のストックオプションも魅力でしたね。
また、海外で働きたいと思ったのは、まだ見ぬ広い世界を見ながら成長したいとの思いがあったからです。これも、新しいモノ好きな性格ゆえの譲れないポイントでした。
私は新潟県の地方出身なのですが、幼い頃から海外に憧れを持っていました。地元にはない未知の世界に出会えると思っていたからだと思います。特にアメリカには、死ぬ前に絶対行きたいと思っていました。
そして人間、いつ死ぬかわからないので、チャンスがあればすぐに行きたいという思いもあり、高校2年生の夏休みにアメリカに短期留学しました。その後も、大学時代にはバックパッカーで世界を回るなどし、海外=未知の世界を知ることに魅力を感じ続けていました。
だからこそ、スタートアップ×海外という環境に飛び込み、圧倒的に成長したかったんです。そして、自分の人生をより楽しみたかったんです。
―その中で、なぜ今の会社を選ばれたのでしょうか?
経営層との面談で、一緒に働きたいと思ったからです。
今の会社は、Wantedlyでスタートアップ×海外に条件を絞って探していた時に見つけ、『タイで新規事業を作りたい人募集!』の文言に惹かれて応募しました。
ほかにも、ベトナムのオフショア開発会社でのPM(プロジェクト・マネージャー)、カンボジアのVRコンテンツ制作会社でのPMなどの求人にも応募し、並行して話を聞いていました。
そんな中、今の会社Flareの創業メンバーの一人と話したのですが、彼のビジネス戦闘能力が高さに魅了されたほか、サービスを開発したい理由、マーケティングやマネタイズ、ロードマップなどがしっかりと考えられていて、一緒にサービスを作ってみたいと思いました。
―自分が魅力的だと感じる人と働けることは、会社を選ぶ上で大きな決め手になりますよね。Flareではどういったサービスの開発に携わってきたのでしょうか?
まず初めに私が開発したのが、車好きのためのクローズドSNSでした。
車好きに焦点を当てた理由は、タイは車社会で、日系自動車メーカーの工場が多くあり、日系企業としてタイでビジネスを行う上で親和性が高かったことが挙げられます。
また、ちょうどその頃、同様のクローズドSNSが日本で流行っていて、タイでも流行ると考えたんです。
ユーザーの熱気や継続率は高かったのですが、toC向けのサービスはマネタイズに時間がかかり、私たちスタートアップにとっては、資金と人材を集中投下する余裕はありませんでした。そこでこのサービスは運用に回し、toBサービスを新しく開発することにしました。
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