※この記事は、GAOGAOの自社メディア「CREATOR HUB」にに公開されたインタビュー記事を転載したものです。
この記事は、前編後編の2回に分けてお届けしています。
世界で活躍するクリエイターに、海外で働く上でのキャリア論を語っていただく本企画『STORY』。ここでは、一歩先を行く先輩クリエイターのグローバルな挑戦を取り上げ、次のキャリアとして、世界で活躍することを目指す日本人クリエイターを、より多く輩出していくことを目的としています。
今回は特別編!ということで、日本でフロントエンドメインの開発会社を経営するGabriel J Garciaさんにインタビューしました。彼がなぜエンジニアの道を志したのか、なぜ出身地であるイギリスから遠く離れた日本で働いているのか、そのほか日本で生活する中で感じているポジティヴなこと、ネガティヴことなど、ざっくばらんに伺いました。
これから外国人エンジニアを雇いたいと考えている日本企業の皆さん、外国人エンジニアと働いている、もしくは、これから働きたいと思っている日本人エンジニアの皆さんには、是非ご覧いただきたい内容となっています。それでは、お楽しみください。
Gabriel J Garcia
イギリス出身。元々は建築分野の3Dグラフィック専門家で、現在は主にフロントエンド開発を行うエンジニア。イギリスから日本へ移住後、趣味でプログラミングをはじめて魅了されたことがエンジニアになったキッカケ。そこからデザインなどこれまでの知識を吸収・活用し、開発マネージャーとしての経験を積み重ねてきた。2020年2月には日本で会社を設立し、大企業のデザインやSaaSの開発をメインに請け負っている。プライベートでは、2児の父。
―今回は、creator hub初の外国人エンジニアへのインタビューです。まずは、Garciaさんの幼少期のお話から伺っていきたいと思います。エンジニアになろうと思ったキッカケも含めて、お話しいただけますか?
私の家にはパソコンがあり、小さい頃からそれを触って育ちました。なので、成長するにしたがい、自然とコンピューターへの興味関心が高まっていきましたね。
そんな中でも、1回目の転機は14歳の頃に訪れました。イギリスの日本でいうコンビニエンスストアのようなお店に立ち寄ったとき、店内に並べられている3D技術に関する専門雑誌に出会いました。この雑誌には付録として、トライアルソフトが付いていたのですが、やればやるほどに面白くて。そこから、3Dグラフィックにのめり込んでいきました。
その頃には漠然とですが、パソコンを使って仕事をしていきたいと思っていましたね。
3Dグラフィックについて勉強し始めて2年くらいが経った頃、3Dグラフィックに詳しい人、扱える人がまだ少ないことを知り、ネット掲示板に出ていた3Dグラフィック関連の仕事に応募したら、通ったんです。これが16歳の時でした。
そこから働き始め、ついには3D技術の専門雑誌に自分の作品が載るまでに成長しました。この頃には18歳になっていましたが、学校以外のすべての時間をオンラインゲームと3Dグラフィックに費やしていましたね。
この年に初めて正社員として雇ってもらい、建築会社向けに3D映像を制作する会社で働き始めました。ここには5年ほど在籍しました。
―14歳で3Dグラフィックに出会い、16歳には専門雑誌に作品が載るようになる。さらには、18歳でプロとして正社員で働き始めたんですか。すごいですね!!その後は、どうされたんですか?
大学に進学しました。もちろん、専攻したのは3Dグラフィックだったのですが、正直、講義がつまらなくて。(笑)
講義では映画やアニメ向けの3D技術に関する講義が多く、私がやっていきたいと考えていた建築分野のテクニカルな3D技術については、あまり学べなかったんです。それに、大学にかかる費用は自分で払っていたので勿体ないと感じ、1年ほどで自主退学しました。
―周りの人達よりも先行して学び、実践していたんですから当然ですよね。それでは、なぜ日本に来ることになったのでしょうか?
この頃、今の妻である日本人女性と付き合っていて、彼女のビザが切れそうになっていたのがキッカケです。そのため、彼女の日本帰国と共に日本に移住しました。それと同時に、そのときイギリスで勤めていた会社も退職しました。
―日本語が大変お上手ですが、どのくらい勉強したのでしょうか?
10歳くらいから日本語を勉強しています。キッカケは、家にあった日本語の参考書でした。
実は、私の祖母が日本人なんです。その影響からだと思うのですが、父の手つかずの日本語の参考書があり、なんとなく勉強を始めました。なので言語面では、日本への移住もさほど不安ではありませんでしたね。
―幼い頃から日本語を学んでいたんですね。では、日本に来られてからは、どのような仕事に就いたのでしょうか?
私の日本でのキャリアの始まりは、妻のお兄さんの紹介で入社した日本のデザイン会社でした。まずは、フリーランスで3Dグラフィックの専門家として雇っていただき、その後、実力を認めて頂いて正社員となりました。
ただ、この会社では3Dグラフィックの案件が少なく、暇な時もありました。そんな時に出会ったのが、プログラミングでした。
私は趣味でギターを弾いていたのですが、この頃ハマったのが、特殊なギターをパソコンに繋いで音楽を制作することでした。そのギターには弦ではなくボタンが付いていて、それを操作するとパソコン上で音楽が作れます。
ちょうど制作にも慣れてきたころ、大掛かりな音楽づくりに挑んでいたのですが、そうなると、プログラミング技術がないと複雑で難しくて。実は当時、プログラミングは難しそうだなと思って敬遠していたのですが、ここで腹をくくって学び始めたら面白くて。(笑)今まで以上に自由に音楽が作れるようになりました。
そんな中で、複雑な音楽を書く人向けのプラグインも開発しました。そうやってコーディングの可能性に魅了され、自分のWebサイトなどを作成していると、Webサイトの開発案件も入ってくるようになりました。
その後、受託開発会社に転職してエンジニアとしての経験を積み、複雑な案件や大規模な案件を一通り回せるようになりました。そうやって自分の実力がついたことを確認し、フロントエンドメインで開発案件を請け負う会社を立ち上げました。
―好きだった音楽が、新たなキャリアの扉を開けてくれたんですね。それでは、今の会社ではどのような事業をされているのか教えてください。
会社は2020年2月に設立しました。設立後すぐにコロナウイルスの感染が深刻な状態となり、私の会社も立ち上げ早々、厳しい状況に陥りましたが、周りの皆さんの協力により乗り越えることができました。11月からは、第一号スタッフも雇い始めました。
メインの事業内容は、フロントエンド開発案件のリードです。実際に開発するだけでなく、クライアント企業内のフロントエンドエンジニアのほか、私のように業務委託で関わっているバックエンドエンジニアをまとめて、案件の進捗管理なども行っています。
弊社が他社と違うのは、ユーザー視点でフロントエンド部分の開発できることだと思っています。私自身がデザイン会社で働いていた経験があるので、UIUX観点での開発や、デザイン視点での開発ができます。
通常、開発会社には、UIUXやデザインが決まっている案件が持ち込まれることが多いのですが、場合によっては、どうしてもデザイン側の意向を技術的な問題から受けきれないことがあります。そういったときには、こちらから代替案を提案するようにし、最大限クライアントに寄り添ったデザインを実装できるように心がけています。
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