インタビュー 海外クリエイター図鑑

海外生活とは無縁なWebデザイナーがタイで働くまでの道 / zenさん

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GAOGAOメディアの新企画「海外クリエイター図鑑」の第2回目です。

この企画のコンセプトは「海外で活躍する日本人クリエイター(デザイナーさんやエンジニアさん)の生の声を知り、海外でチャレンジする敷居をもっと低くしよう」というものです。

海外生活や海外での仕事に興味があるけど、どのようなものなのか想像がつかない!そう思っている読者の方はいませんか?! そんなあなたをターゲットとした企画です。

2回目のインタビューに応じてくれたのは、タイ・バンコクのWeb制作会社でWebデザイナーとして活躍している zenさん(仮名)です。

インタビュアー: Manahii  

2013年からバンコク在住。バンコクのデジタルマーケティング会社に第二新卒で入社、約5年半PM/ディレクター職を担当し2018年11月に退職。現在はGAOGAOのマーケティング業務をサポートしつつフロントエンド開発の勉強中。

– zenさんがクリエイターになるまでの経緯を教えてください。

私は現在Webデザイナーとして働いていますが、この仕事の存在を知ったのは、社会人になってからです。
営業職でキャリアがスタートしたのですが、同じ部署の中にクリエイターチームがあり、彼らの仕事に興味を持ったのがきっかけです。最初の入り口は完全に「憧れ」ですね。笑

そこからどうにか自分も作る側に行きたいなぁと思い、週末に社会人学校に行ったり紆余曲折しつつ、幸運にも制作会社にアシスタントデザイナーとして採用してもらい、そこから退職するまでの約3年間、がむしゃらに働きました。
その会社で一人前のWebデザイナーとして認めてもらえたので、そこから私の中で「正式な
Webデザイナーのキャリア」がスタートしたと思っています。

– なるほど、未経験からのキャリアチェンジだったんですね。zenさんの日本での経歴をもう少し詳しく教えてください。

大学時代は、明確な目標もなりたい職業もありませんでした。しかし漠然と「面白い人は東京に集まっているのでは」という好奇心から、就職は東京でしたいと考え、新幹線や夜行バスで東京に通って就活をしていました。
ありがたいことにギリギリのタイミングで都内の広告代理店にご縁を頂くことができ、無事に4月から新入社員として働き始めました。

入社後は「自分が苦手なことを克服したい」という、今考えると意味不明過ぎる謎のM気質を発揮して、新規営業チームに配属してもらいました。

そこでは広告枠の法人営業をしていたのですが、広告の「こ」の字もわからず、そしてわからないからどう動いて良いかもわからず、配属2日目にして、「これは完全に場違いな場所に来てしまったな」と自らの過ちに気が付きました。

そんな営業として日々ヒィヒィしている席の近くで、クリエイティブチームは淡々とものづくりをしていたんですね。
意見交換しながら、イメージを形にしていく姿がすごくかっこよく見えまして。いつか自分もそっち側に行きたいと考えるようになりました。

その後、別の部署に異動になり、営業から自社メディア運営の担当に変わりました。そこで初めてPhotoshopを使って小さなバナーや画像処理などを作る機会をもらいました。とはいえ、自分が興味を持つクリエイティブの仕事とはまだ遠い、ルーチン業務がメインでしたね。

この頃、もう少しツールを使いこなせるようになりたいなぁと考えるようになり、数ヶ月間、働きながら週末は社会人学校に通い、Adobe系のツールの基礎を一通り学びました。
その後、その部署が事業譲渡により切り離され、別会社となりました。

– 会社が変わったのですね。そこで何か変化はありましたか?

社長面談で「社会人学校でデザインを学んでいる」という話をしたところ、「デザインの仕事をしてみる?」という打診を頂き、晴れて制作メンバーの仲間入りを果たしました。

この会社では、バナーや特集ページのLPデザインなどを8か月間ほど担当しました。自由に作らせてもらえる代わりにフィードバックがほとんどない環境だっため、自分のクリエイティブに対して不安を抱えたまま過ごしました。特に初心者だと「良い」「悪い」のアドバイスが欲しいものですが、初心者故に声を上げることも無く…。

自信を持って導いてくれるプロフェッショナルが居る環境を求めて退職し、転職サイト経由でご縁があった制作会社に、アシスタントデザイナーとして入社しました。

自身にとって初の制作会社では、「制作会社では異例なのでは」と思えるくらい、基本から丁寧に教えて頂きました。社員の皆さんはめちゃめちゃ仕事ができて寛容で…。特定の先輩というより「色んな強みを持ったボス達全員に育ててもらっている」という感覚がありました。

複数の案件でデザイン・コーディングの能力を身につけつつ、正式にデザイナーになったタイミングでディレクションなども担当し、デザイン以外の領域も幅広く経験させてもらいました。

色々と指導をしてくれた先輩方に対する「恩」を強く感じていて、少しでも役に立ちたいという思いから、「とにかく何でもやる」というスタンスで働き続けました。先輩方に少しでも追いつきたい、という思いも強かったです。終電が恋人でしたね…。

出来ることがだんだん増えていき、任せてもらえる領域が増えていく中で、今の自分のスピード感で、自分の技術で、本当に先輩方に追い付けるタイミングが来るのかなと、不安と焦りを感じるようになりました。「今を乗り越えたらもう少し楽に考えられるようになるから」とアドバイスを頂き、自分でももう少し頑張れば、その感覚を捉えられそうな気がしてはいたけれど。

29歳の当時、会社で遅くまで仕事をしながら、ふと「自分は30歳を超えたときに、今よりも強いパフォーマンスを実現できているだろうか」という疑問がよぎったんですね。

それは体力的なこともありますが、すごいスピードで情報がアップデートされているWeb業界において、自分のプライベートな時間を削ってまでクリエイティブを突き詰めるイメージが持てなくなった、ということです。

当たり前のように遅くまで働きながら高い目標を超えていく先輩たちと、一方で中途半端な気持ちで手を動かす不甲斐ない自分。

悩み続けるうちに体調を崩してしまい、結果的に中途半端な形で退職をしてしまいました。

– ご自身を追い込みますね…。海外移住をしようと思ったきっかけはなんだったんですか?

自分でも要領悪いなぁと思います。もっとリラックスして、冷静に考えられたら…と思いながらも、なかなか難しいのが現状です。苦笑

退職後は、Web業界から一度離れようかな、とも考えたんです。Webから少し離れた分野で、イチから飛び込んでみるものアリかもと、しばらくは家でふわっと過ごしていました。

ただ退職後にとりあえず転職サイトには登録をしていたので、色々な会社から日々オファーメールは届いていたんですね。その中の一つが、今働いているバンコクの企業からのWebデザイナー枠のオファーだったんです。

それまで、人生で一度も「海外で働く」ことを考えたことはありませんでした。最初にそのオファーを見たときは「いやいや… そもそも英語もタイ語も話せないよ」と本気にしていませんでした。
でも冷静に考えてみたら、日本語以外話せない自分が海外企業で働けるって、こんなチャンスなかなか無いんじゃないかと。

あとは「日本以外でWebの仕事をするってどういう感じなんだろう」という、働く環境の違いについて興味もありました。
その企業からの採用条件はほぼクリアしていたし、職場では日本語で仕事が出来るので言語の心配がないということだったので、応募することにしました。

「受かったらラッキー、受からなくても仕方がない」と腹を決めてからの行動は早かったですね。

あと、タイは旅行では来たことがあったので、何となくですが生活のイメージが湧いたのも、応募の後押しになりました。

– 選考はどのような流れだったんですか?

まず履歴書/職務経歴書(Word版)と制作実績を掲載したポートフォリオサイトのURLを提出しました。
ポートフォリオサイトについては、募集要項で「HTML/CSSのスキルが歓迎」とされていたので、WordPressを自分でカスタマイズし、そのサイトもスキルの判断材料にしてもらえるような形で提出しました。

書類選考が通過した後は、会社の人とSkype面接をしました。
無事内定を頂き、総務の方にサポートしてもらいながら入社や引っ越しの準備を進めていった感じです。

– そうして無事入社されたんですね。お仕事内容はどのようなものですか?

自社メディアのWeb制作全般に携わっています。
Webサイトのデザインとコーディングまでをメインで担当し、必要に応じてディレクションも入る、という状態です。
最近は他社のブランドサイトの新規立ち上げなど担当させてもらっていますね。

9時−18時勤務で、基本的に残業や土日出勤はなく、忙しくない訳ではありませんが、ガッツリ深夜まで!というようなこともありません。
平日帰宅したあとに自分の時間がしっかり確保できるのが、ありがたいです。

– 言語の心配が無い職場環境ということでしたが、日常生活はほぼ日本語ということでしょうか?

職場では日本人か日本語の出来るタイ人スタッフと仕事をしているため、職場で英語やタイ語が必要な場面はあまり無いですね。
日常生活ではタイ語の「コップンカー(ありがとう)」とルー語(日本語と英語を融合したルー大柴さん発祥の言葉)でどうにか乗り切っています。汗
英語への憧れとコンプレックスが現在進行形で拡大中です。

– なるほど。言葉の面で普段苦労することはあまりなさそうですが、その他でタイで良かったこと/良くなかったことはありますか?

良かったことは色々ありますが、その中でも大きいのは以下かなと思います。

・ご飯が安くて美味しい
・交通費が安い
・旅行のハードルが低い(バンコクからは色々な場所にLCCが飛んでいるので、近隣の国に気軽に行ける)
・マッサージが安い
・日本と比べると皆ゆったりしていて、将来に対する悲観的な雰囲気が無い
・皆妊婦さんとお年寄りに優しい(見ていて温かい気持ちになる)

逆に良くなかった点は以下ですね。

・マスクが手放せなくなった(今年の乾季は大気汚染がひどいため)
・白い洋服をあまり着なくなった(水質の影響か、割とすぐに変色する)
・濃い味付けに慣れてしまう
・生活のコスパが良すぎて、次に住む国へのハードルが高くなってしまった

よく言われることですが、タイは便利で生活がしやすく、日本人が海外移住する第一歩としてはハードルが低い国だと思います。
私はオファー頂いた会社がタイにあったので来ましたが、今考えるとタイで良かったと思っています。

– 確かにタイは海外移住の第一歩として選ぶ人も多いですよね。今後もしばらくタイでしょうか?

正直なところ、「日本で経験してきた業務内容をバンコクという土地で日本語で行なっている」状態なので「海外ならではのキャリア」はまだ積めてないのが現状です。
海外生活をしてみてコンプレックスを持った語学(英語)を克服することが、次の目標になりました。
ということで、今年の春、仕事を辞めてタイからも出て、語学留学に行くことにしました。

– 語学留学ですか!それはまた決断しましたね…!

仕事をしながら平日夜や週末に語学の勉強をすることも、可能だとは思います。バンコクにも英語学校はたくさんありますし…。ですが私の場合、環境を変えて1点集中しないと取り組めない性格なので、思い切って留学に行くことに決めました。

語学スキルを手に入れた後は、Webデザイナーとしてのスキルとの掛け合わせで、選択肢を増やせれば良いな、と考えています。
将来的には国関係なく活動できる、フットワークの軽いWebディベロッパーになりたいですね。

– ありがとうございます。それでは最後に、海外でチャレンジしたいクリエイターへひとことお願いできますか?

私の場合、海外で働きたいときにぶち当たる最大の壁「英語(やその他外国語)が話せない」を最初から免除してもらったレアタイプです。
自分がこうして過ごせている今だから言えますが、語学力が無いからと言って「海外で働く」選択肢を外すのはもったいないと思いました。

また、デザイナーやエンジニアなど、比較的国に関係なく活躍出来る仕事をしている方が、日本国内の労働環境だけを見て「この業界は自分には厳しい」と考えることも、とてももったいないと思いました。
その仕事自体は嫌いではなく、ただ業界的な環境や慣習が自分に合わないという場合は、その仕事自体を辞めるのではなく、一度日本以外の場所でその仕事が出来る場所が無いか、探してみるのも良いと思います。

そして誤解を恐れずに言うと、日本に居たときは、海外で生活している人に対して「なんだかとてもすごい人」という謎の思い込みがありました。仮に過去の自分のような「海外で働くクリエイター全員自分より凄い人なのでは」と思っている方がいたら、私がいるから、ぜひ安心してほしいなと思います。笑

これから色々な国で色々なクリエイターと会えたら良いなと思います。

編集後記

zenさんは、持ち前の根気強さに加え、好奇心とフットワークの軽さで目の前のチャンスを掴み、ご自身のキャリアを切り開いてきたという印象を持ちました。
ご自身のことをよく知っているからこその決断をされていて、自分を深く知ることの大切さを改めて実感しました。

zenさんの今後の更なるご活躍を期待しております!

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